こんいちわ~!ぱっくんです!
前回はリスクヘッジについてお伝えしましたが、今回はそこで出てきた暴落(価格変動リスク)について深堀していきたいと思います。
僕ら素人は漠然と暴落に恐怖を感じたり、衝動的に損切りを考えたりしちゃいますよね。
それによるストレスや不安で夜も眠れないなんてことがあってはどんどん膨れていく積立資金に押しつぶされてしまいます。(僕のこと)
そんなわけで、今回の過去に起きた暴落の歴史を見ていこうと思います。
これを知ることで、漠然とした恐怖を感じなくなり衝動的な損切りもなくなると思うのです。
暴落時の対処が冷静に出来るようになれば資産の増減を楽しむことが出来ると思います。
今日のポイント
一言でいうと、『暴落は相場が続く限りチャンスに過ぎない』という結論に至りました。
なぜその結論が出るかは、このあとの暴落の歴史を見ると納得がいくと思います。
では、暴落の歴史を古い順に見ていきましょう。
・1929年ウォール街大暴落
1920年代、欧米諸国の経済は工業生産の増加に伴い力強く成長していました。ニューヨーク証券取引所の株価は約300%上昇し、この状況を見て強欲な投資家たちは、株式を売買すればもっと多くの利益が得られると考え。株式市場に多くの資金が流入しました。
しかし、熱狂的ともいえる株式の投資は『投機』となりました。当然、株価は経済や企業のファンダメンタルズからかい離していき、10月24日ウォール街の証券取引所で1,280万株の株式が売りに出されたのです。その膨大な売りにより株価は下落しました。そして売りが売りをよび、米国の株式市場は暴落しました。この時のことを『暗黒の木曜日(ブラックサーズデー)』と呼ばれています。
10月29日、パニックに陥った投資家たちが我先にと株式を売却するため、ニューヨーク証券取引所に押し寄せ、この日の取引量は通常の4倍に膨れ上がり、NYダウ工業株30種(ダウ平均)は12%以上下落しました。この暴落は『悲劇の火曜日(ブラックチューズデー)』と呼ばれています。株価がピーク時を上回ったのは25年後でした。(引用:IG証券)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
・1987年ブラックマンデー
1987年に起こった株式市場の大暴落を『ブラックマンデー』と呼びます。
この時の暴落は香港、ロンドン、ベルリン、ニューヨークなど世界中の株式市場へ瞬く間に広がりました。
この暴落は1929年のウォール街大暴落以降、1日としては最悪の取引日となりました。
1929年の株価暴落とは異なり、1987年の暴落は米国経済にそれほど大きな影響を与えませんでした。
米国の連邦準備制度理事会(FRB)がすぐに対処に乗り出したためです。
FRBは金利を引き下げ、貸し出しを増やし、公開市場での買い入れを行うことにより、株価暴落の影響が拡大することを食い止めました。
FRBの対応が功を奏し、米国の経済はその後も成長しました。
そしてダウ平均は、2年以内に暴落前の水準へ戻りました。(引用:IG証券)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
・2008年リーマン・ショック
2008年9月の株価暴落は、日中取引でダウ平均が777.68ポイント下落したことから始まりました。
のちに『リーマン・ショック』といわれる株価の暴落です。
リーマン・ショックきっかけは、米国の議会が銀行救済法案を否決したことでした。
リーマン・ショックに対応するため、FRBが金融緩和政策を導入したことで2009年3月、ダウ平均は約6,594.44ポイントで底を打ちました。
株式市場が完全に回復したのは2013年でした。
(引用:IG証券)
・2010年フラッシュクラッシュ
短時間で相場が急変動することを『フラッシュクラッシュ』といいます。2010年5月6日、米国の株式市場でフラッシュクラッシュが発生しました。
これを受け、プロクター・アンド・ギャンブルやゼネラル・エレクトリックといった大企業の株式時価総額が数十億ドル消失しました。
この暴落(フラッシュクラッシュ)は、午後2時32分(ニューヨーク時間)に始まり36分間続きました。その間、これまでにないスピードで株価が下落し、フラッシュクラッシュは相場に大きな影響を与えます。しかし、実体経済への影響はほとんどありません。この点が、これまで紹介した暴落と違う点です。
この暴落の原因については、人為的な注目の入力ミス― いわゆる『ファットフィンガー』ではないかという説から違法なサイバー攻撃説まであり、今も原因が特定されていません。当初の調査では、1人の市場参加者が電子システムを欺いて有利な方向に動かす『スプーフィング』による可能性が指摘されました。(引用:IG証券)
・2020年OPECクラッシュ
世界的感染による経済停滞(コロナショック)に端を発し、3月6日に行われた石油輸出国機構と非加盟産油国で構成する「OPECプラス」の協議でサウジアラビアが提案した日量150万バレルの追加減産をロシアが拒否し交渉が決裂したことを受け、サウジアラビアが自主的な減産を取りやめ増産に転じたことも重なり[要出典]、コロナショック前は50ドル台で推移していた原油価格は激しく下落しました。
4月20日午後(日本時間)に5月物原油先物価格は1バレル20ドル前後で推移していたが、夜になると1バレル10ドルを切ると下落が加速、直後に価格は1バレル0ドルを切り、わずか4時間程度で一時最低値1バレルマイナス40.32ドルまで暴落、マーケットクローズ時間には4月20日の清算値で1バレル当たりマイナス37.63ドルとなりました。
原油価格がマイナスになるのは史上初。
原油価格の暴落に伴い世界の株価は下落し、20日のダウ平均株価は前日比-592.05ドル(-2.44%)の23650.44ドルまで大きく値を下げました。次の月には1バレル20ドルに回復しました。 (出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
・2020年新型コロナクラッシュ
2020年、のちに新型コロナウイルス(COVID-19)と呼ばれる未知のウイルス感染が世界中に広がりました。これを受け、世界の市場は2月から3月にかけてパニックに陥りました。『コロナパンデミッククラッシュ』の発生です。このクラッシュにより、ダウ平均やFTSE100などの主要な株価指数は軒並み急落しました。
コロナパンデミックに対応すべく、各国政府は大規模な財政政策を講じました。また、アメリカのFRB(連邦公開準備制度理事会)をはじめとした各国の中央銀行も金融緩和政策の導入に踏み切りました。一連の経済対策が投資家の不安心理を後退させ、2020年3月の下旬以降、世界の株式市場は再び上昇へ転じました。(引用:IG証券)
結論として
ウォール街大暴落の時には、元の水準まで戻るに25年もの月日がかかりましたが、その教訓を生かして米国の連邦準備制度理事会(FRB)はその都度金融緩和や財政出動を行って、株価暴落の影響を限定的にしようと試行錯誤しています。
日本も今回のコロナショックで今まで以上の金融緩和は財政出動をしました。
このように、株価大暴落があれば、世界が強調して不景気にならないように努力します。
ということは、暴落時にドルコスト平均法を使って時間的分散や暴落時に強い資産をもっていれば、何も怖いものはありません。
もちろん、未来に何が起きるかわかりませんが少なからず、何も知らないで大暴落に遭遇するよりはるかに、冷静な対処が出来るようになっていると思います。
無知による恐怖がなくなった今、資産の増減を楽しむことが出来るようになったともます。
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